【音声読み上げ】
柳井市日積4186番地1付近
大帯姫八幡宮の石段を上りつめると広い参道に出ます。
その参道の左側に、大里小学校跡があります。
今は桜の木が植えられ、周囲の山が迫って大分狭くなっていて、ここに校舎があったとは信じられませんが、明治26年(1893年)から昭和30年(1955年)までの62年間、宮の首のこの地に大里小学校の校舎があり、毎日長い石段を通って登下校していました。
日積地区の小学校は、明治5年(1872年)の学制頒布以来、寺などを仮教場としていましたが、明治13年(1880年)、下大里(現在のふれあいどころ437と明教寺の中間地点あたりの水田)に、日積小学校として校舎が新築されました。
明治18年(1885年)に小学校は宮ヶ峠に移転し、大里分校として残りました。
明治25年(1892年)に、日積尋常小学校と大里尋常小学校の2校体制となり、翌年の明治26年(1893年)、新校舎が宮の首に建てられ、移転しました。
校舎は大正元年(1912年)に改築されました。
平屋木造建校舎2棟がL字状に移築・新築され、2教室と6教室・教員室・和室がありました。
昭和2年(1927年)に高等科が設置され、8学級となりました。
戦後の学制改革を経て、昭和30年(1955年)に、中大里(現在のふれあいどころ437の敷地)へ移転しました。
大里小学校は平成15年(2003年)に日積小学校と統合となり、跡地には平成25年(2013年)に都市農村交流施設「ふれあいどころ437」が開設されました。
大里小学校の沿革
明治 6年(1873年) | 村落日積小学を開設、仮教場を教徳寺に置く。 |
明治 7年(1874年) | 教場を宮ヶ峠の瑞雲寺に移転。 |
明治13年(1880年) | 大里へ校舎新築移転。(大里小起点) |
明治18年(1885年) | 日積小学校となり、本校を宮ヶ峠へ移転。大里は分校となる。 |
明治25年(1892年) | 大里尋常小学校と改称。 |
明治26年(1893年) | 新校舎落成。高等科を併設。 |
明治42年(1909年) | 大里尋常高等小学校と改称。 |
大正元年(1912年) | 校舎改築。 |
昭和16年(1941年) | 大里国民学校と改称。 |
昭和22年(1947年) | 大里小学校と改称。 |
昭和30年(1955年) | 新校舎落成、講堂移築。 |
昭和55年(1980年) | 校門新設。 |
平成15年(2003年) | 3月閉校。 |
大里小学校跡までの道案内
(ふれあいどころ437から約530m)
【1】ふれあいどころ437を出て右折する。
1車線、約30m
【2】八幡宮鳥居前で右折する。
1車線、約100m
【3】大帯姫八幡宮案内看板がある。左折。
1車線、約250m
【4】坂道を上り切り、参道に出る。左折。
1車線、約150m
【5】大里小学校跡に到着する。
※徒歩の場合は、大帯姫八幡宮一の鳥居をくぐり、階段を上る。