
【神代村】大畠町大字神代、由宇町大字神東。玖珂郡の東南端、南側は海を挟んで周防大島(屋代島)。江戸時代を通じて神代村とその西南に続く大畠、遠崎の大畠の瀬戸を挟んで大島に面する三村は大島郡に属した。江戸時代は岩国藩領。この辺りは平安時代末には神代保とよばれる国衙領として現れる。
この神代氏については【萩藩譜録】に、源平合戦の頃、岩国兼秀という者がおり、その子兼高を神代の地に在城させ、神代氏を名乗らせたとある。神代は隣地の大畠とともども瀬戸内交通の要地てもあったらしく、康応元年(1389)足利義満が厳島に詣でた折、随行した今川了俊によって記された【鹿苑院殿厳島詣記】に【周防の国岩国ゆふむろ岡などいふ所々きたにみゆ、(中略)夜舟は心もとなるべしとて、かうしろといふ海上に御とまりなり】(3月11日条)とある。
