【音声読み上げ】


柳井市日積3589番地

尾崎原に、戦国時代に尾崎山地源寺として開祖したと伝えられる地蔵堂があります。
本尊は地蔵菩薩です。
「三界万霊」と刻まれた塔は、地蔵堂の本尊と相対する形で佇んでいます。
この塔は、享保期に年貢の減免と不公平を唱え、百姓一揆で責任を問われ処刑された大里の惣左衛門ほかの供養塔と伝えられています。

尾崎原の地蔵堂

百姓一揆は、享保2年(1717年)12月、厳しい年貢取り立てに苦しんでいた日積村農民による、岩国蔵元への直訴が発端となり、由宇組・玖珂組・柳井組を巻き込んだ岩国領南部全域におよぶ大騒動となりました。
岩国川西の河原に、数百人の農民が押しかけ、年貢の軽減などを訴えました。
一時は農民の要求を受け入れましたが、岩国領北部の蔵入地農民や、各地の庄屋から反対意見や書面が出され、翌年1月28日には撤回されました。
2月になると、反発した岩国領南部11か村の農民が高森(現:岩国市周東町)に集結し、一部が萩藩あてに、萩藩への編入の要求などを内容とする訴状を持って萩へ向かいましたが、花岡(現:下松市)まで行ったところで代官に止められました。
その頃から岩国領と萩藩との間で対立が起き、岩国領では内部分裂の危機もありましたが、享保4年(1719年)5月頃までに沈静化しました。
同年10月には、萩藩でも百姓訴訟があり、早期解決のため、首謀者とみられる者を萩に呼び出しました。
享保5年(1720年)1月6日、萩藩が農民の要求を却下する裁決を申し渡しました。
そして、享保6年(1721年)3月1日、柳井後地の徳三郎、柳井開作の新右衛門、祖生中村の助三郎、由宇横道の又五郎、野口栗屋谷の孫八、野口からうすの善右衛門、日積大里の惣左衛門、伊陸長野の宮吉の計8人が斬罪(打ち首)に処せられ、21人(うち日積村14人)が遠島に処せられました。

日積の農民が出した訴状(岩国徴古館蔵)

享保2年(1717年)12月、岩国川西の河原に、数百人の農民が押しかけて直訴に及びました。
訴状の主旨は、物成り(年貢)の軽減、欠米(付加税)の免除、畑租の銀納等です。

斬罪に処せられた日積周辺の農民の墓や碑
助三郎の碑(岩国市周東町祖生)
助三郎の碑
(岩国市周東町祖生)
新右衛門の墓(柳井市古開作西向地)
新右衛門の墓
(柳井市古開作西向地)
宮吉の墓(柳井市伊陸長野)
宮吉の墓
(柳井市伊陸長野)
又五郎の墓(岩国市由宇町横道)
又五郎の墓
(岩国市由宇町横道)

地蔵堂・享保百姓一揆 三界万霊塔までの道案内

(ふれあいどころ437より約1.9Km)

【1】ふれあいどころ437の出口から右折。


【2】突き当たりをすぐに右折する。

1車線、約600m

【3大里橋を渡り、左手に「地蔵堂・享保一揆三界万霊塔 ここから300m」の標柱がある。ここを左折。

1車線、約500m

【4】曲がりくねった坂道を登り切り、台地になったところで、左手に防火水槽がある。ここを左折する。

1車線、約200m

【5】道なりに進むと、地蔵堂に到着。
※【3】にある標柱は、徒歩道で300mの意味です。車は遠回りになります。