【音声読み上げ】
柳井市日積6246番地ほか
中院遺跡は、今から約2000年前の弥生時代中期後半の村落をはじめ、古墳時代中期の村落、平安時代から室町時代までの村落や墓地からなる重複遺跡です。
この遺跡は、今から数十万年前の洪積世時代につくられた洪積台地(広さ約20,000㎡)に、1500年にわたって人々が営んだ村の跡です。
現在はほ場整備により残っていませんが、発掘調査を行った当時(平成14年(2002年))、検出された弥生時代後期前半の壁立式円形竪穴住居跡2軒(直径7m前後)において、玄関部分とみられる張り出し部分がはっきりとした形で見つかりました。
うち1軒の張り出し部分は、幅155cm、奥行120cmで、三方を幅 25~35cm、深さ5~12cmの排水用とみられる溝があり、残存度において国内で類例がなく、全国の考古学関係者から注目を集めました。
それまで埴輪や土器に描かれた絵から推測していた玄関が具現化したことに、中院遺跡の重要性と意義があります。
中院遺跡では、弥生時代の壕(ほり)、土坑 (大きな穴)、柱穴などの遺構や、弥生土器(甕・壷)、分銅型土製品、須恵器、土師器、瓦質土器、輸入磁器などの遺物が発見されました。
焼き物の他に石製品(石鏃・石斧)なども発見されています。
分銅型土製品
中院遺跡からは、分銅型土製品が出土しました。
分銅型土製品は、重さをはかる「てんびん」のおもり(分銅)の形をした土器で、人の顔の面になっています。
出土したのは、上面部の右半分、全体の4分の1に相当する部分です。
大きさは復元すれば、山口県内では田布施町の明地遺跡から出土した国内最大の分銅型土製品に次ぐものです。
厚さは最大1.0cmです。
顔面表情は豊かで、赤色の顔料が塗られています。
中院遺跡までの道案内
(ふれあいどころ437から約600m)
【1】ふれあいどころ437の出口から左折する。
1車線、約100m
【2】横断歩道のある交差点をそのまま直進する。
1車線、約180m
【3】八幡橋を渡ってすぐに左折し、すぐに右折し、曲がりくねった上り坂へ。
1車線、約170m
【4】正面に家が見える手前で右折する。
1車線、約150m
【5】向かって左手に中院遺跡の標柱と説明板あり。
引用文献:財団法人山口県埋蔵文化財センター、柳井市教育委員会『山口県埋蔵文化財センター調査報告 第36集 中院遺跡』2003年