【音声読み上げ】
柳井市日積4654番地1付近
江戸後期の岩国領の各村の状況が詳細に記された地誌『玖珂郡志』に、「大原狩野ノ石ト云名石アリ。
往古、狩野古法眼絵ヲ書シ石也」とあります。
狩野古法眼は、狩野元信のことで、狩野派の2代目です。
狩野派は、室町後期から江戸時代、幕府や武家の御用絵師として繁栄しました。
果たして、2代目元信が草深い日積に足を即したのでしょうか。
この石から約18km南西の大峰峠(田布施町上田布施と光市室積村との境にある峠)の路傍に、狩野古法眼の筆掛けの松といわれる名木があったといわれています。
この峠から、室積湾の絶景を絵にしようとしましたが、あまりの絶景に絵にならず、傍らの松に筆をつるして、嘆息したという伝説が残っています。
当時は一宿一飯を求めて、諸国を渡り歩いた絵師もあったそうです。
本人かあるいは同派の門弟か、この名石は何も語ってくれません。
もとは往還(小瀬上関往還)の上にあったものが、いつの頃か道の下の土中に埋まり、その後村人が掘り出し、石神としてあがめ、その後長い間火災がなかったので、この石神を「火伏の神」としてまつったといわれています。
一度神社整理で、大帯姫八幡宮へ合祀されましたが、たびたび火災が発生したので、再度勧請したと古老はいいます。
今では石神様にしめ縄を張り、火伏の神祭をしています。
かつての名石、今は、火伏の奇岩とは不思議です。
ある時、狩野古法眼(元信)という天下に名のとどろいた画家が日積を通りかかった。
大きな石のそばに、歩きつづけた足をとどめて、しばしの間疲れをいやしていた。
古法眼はじっと目の前の大石を見つめた。
石に通じるものがあり、むらむらと画趣がわいたので、それをそのまま絵にかくと一枚の鶏の絵になった。
古法眼はなにを思ったか、その絵を石に張りつけて立ち去った。
絵の鶏は、夜があけると不思議にも朝のしじまを破ってときの声をつくるので、村人はこの石を鳥岩と呼んで珍重した。
その後、ふとしたことで、この石が往還下(街道の下)に転がり落ちてしまい、鶏は鳴かなくなった。
「なんにもせんのに石が道の下へころげ落ちたのは、なにかわけがある。」
「鶏が時を告げんようになってしもうたのは、たたりが起こる前ぶれじゃ。」
こんなうわさが広まったので、村人たちが集まってきて、鳥岩をていねいに掘り起こした。
泥を洗い、道のわきにすえなおして、しめなわをかけ、石神としてあがめた。
どうしたわけかそれから後、この地区には長い間火災の発生がなかったので、村人はこの石神を「火伏せの神」としてあつく祭った。
石神を拝むと瘧(急に高熱が出て苦しむ病気)もよくおさまったという。
時移り、大正3年、各地の小社の合祀が行われることになり、石神の神体も合祀された。
ところが短時日のうちに、この地区で2件の火災が発生した。
村人は、それ見たことかと騒ぎ出し、もとのように分神を勧請したところ、火災はなくなった。
それから今に至るまでこの石を火伏せの神として、春秋2回祭りを行っている。
火伏神狩野岩までの道案内
(ふれあいどころ437から約1.7km)
【1】ふれあいどころ437の出口から左折。
1車線、約100m
【2】横断歩道のある交差点を右折し、国道437号玖珂方面へ。
2車線、約1,300m
【3】下り坂の後、大原橋を渡ると、案内標識あり。柳井方面へ左折し、県道68号へ。
1車線、約200m
【4】大原バス停を過ぎ、横断歩道のある交差点で右折。
2車線、約100m
【5】右手に小瀬上関往還の陶板がある。ここを右折。
歩行者道、約20m
【6】火伏神狩野岩に到着。