大原遺跡

【音声読み上げ】


柳井市日積4726番地付近

昭和60年(1985年)頃、大原の稲村政男氏が、庭の椿の根本から、弥生系の石斧らしいものを採集されました。
しかも、この宅地周辺から、鏃や土器片も発見されました。
後に、石斧1個を発見されたり、土器片の中に縄文系もあったことから、「大原遺跡」と名付けられました。
採集された石斧は「磨製石斧(ませいせきふ)」と呼ばれ、縄文時代に多く使用された表面が磨かれた石の斧です。
刃の部分がハマグリが閉じた状態であることから、ハマグリ刃と呼ばれ、木の柄をつけて、木を切る斧や畑を耕すクワのように使われました。

磨製石斧(しらかべ学遊館蔵)
磨製石斧
(しらかべ学遊館蔵)

この石斧は花崗岩系で、上端部が欠失していました。
調査をした福本幸夫氏によると、使用中に折れたか、または故意に破損させることもあるといいます。
大原遺跡で発見された石斧は、しらかべ学遊館(柳井市柳井津495番地)に展示されています。
この地一帯は、奥迫川の扇状地で、弥生人の住居跡があっても不思議ではない小高い丘となっています。
また、日積地区では最古の人の生活が伺える地として意義があります。
遺跡は稲村氏の宅地が中心ですが、遠い古代の謎は、この一帯の丘に眠っていて、今後の調査に期待できます。

南大原遺跡
A区で出土した縄文土器
A区で出土した縄文土器
柳井市教育委員会『柳井市埋蔵文化財調査報告書 第14集 柳井市日積地区 南大原遺跡・鳥屋尾遺跡』(2017)より引用

平成27年(2015年)、国営圃場整備事業に伴い、由宇川右岸の河岸段丘上の遺跡が発掘されました。
●A区
竪穴建物5軒、柱穴662基、土坑17基、溝状遺構10条を検出しました。
7棟の掘立柱建物が復元でき、竪穴建物や掘立柱建物の多くが、古墳時代に建造されたことがわかりました。
川沿いに形成された河岸段丘の最下段にあり、洪水の頻度が低かった時期に形成された居住地であると推定されています。
縄文時代から江戸時代までの遺物が出土しましたが、縄文時代の土器の割合が高く、建物からやや離れた場所に掘った土坑や溝の中に、縄文土器の破片を投げ入れていました。
縄文土器には多彩な模様が施されており、ヘビの形をした破片もありました。
柳井市山間部での縄文土器の大量出土はまれです。
発掘調査で、さまざまな縄文土器が出土したことは貴重な成果です。

現在の南大原遺跡付近
現在の南大原遺跡付近

●B区
竪穴建物2軒、柱穴384基、土坑11基、溝状遺構1条を検出しました。
8棟の掘立柱建物が復元でき、竪穴建物や掘立柱建物は、弥生時代の中期に建造されたことがわかりました。
石器づくりや野鍛冶の作業を行っていたことが判明しました。
遺物は、弥生時代に作られた土器の割合が高く、当時は川が度々氾濫し、低位のA区を避けて上位のB区に移り住んだと推定されています。
また、広範囲にわたって物資の流通が行われていたことが判明しました。

大原遺跡までの道案内

大原遺跡までの道案内

(ふれあいどころ437から約1.7km)

【1】ふれあいどころ437の出口から左折。

1車線、約100m

【2】横断歩道のある交差点を右折し、国道437号玖珂方面へ。

2車線、約1,300m

【3】下り坂の後、大原橋を渡ると、案内標識あり。柳井方面へ左折し、県道68号へ。

1車線、約200m

【4】大原バス停を過ぎ、横断歩道のある交差点で右折。

2車線、約100m

【5】右手に小瀬上関往還の陶板がある。ここを右折。

歩行者道、約50m

【6】火伏神狩野岩を過ぎたところに大原遺跡がある。