【音声読み上げ】


柳井市日積14466番地2

小国にある茶臼山(標高116.1m)は、なだらかな山並みがひときわこんもりと盛り上がった形をしたところです。
大昔には円墳であったといい伝えられていますが、中世の頃に山城が築かれていました。
当時は戦国の世の中で群雄が割拠し、下克上の横行する時代でした。

享保増補村記附図(岩国徴古館蔵)

陶晴賢が大内義隆を山口に急襲し、長門の大寧寺で自害に追い込み、滅ぼしました。
大内氏に関わりをもつ日積の住民は、茶臼山城を中心に自衛に努めたことでしょう。
広島の安芸に勢力をもってきた毛利元就は、大内氏の弔い合戦だといって、弘治元年(1555年)10月、陶晴賢の軍と厳島で戦い、陶晴賢を滅ぼしました。
戦いに勝った毛利元就は、軍を周防に進め、毛利軍の水軍であった小早川隆景の兵は、由宇に上陸し、西に進みました。
海賊が襲来したと、茶臼山城の兵士は防御にあたりましたが、谷をはさんで道見山に陣取った小早川軍との間に、壮絶な戦いが繰り広げられました。

弘治の役で戦死した兵士を埋葬したといわれる首塚が、城山の南の城が原にあります。
道見山にも首塚があります。

小国茶臼山古墳・城山案内図

この城山には、化女が住んでいて、山中でこの化女に出会うと、すぐに病気にかかってしまうと恐れられ、姫ケ城ともいっていました。
茶臼山と道見山の間にある谷川に深い淵があり、地元では丑鬼といって恐れられている所です。
丑鬼とは、水中に住む魔物で、頭は獅子で体は牛の姿をしています。
昔、稲作農民が雨乞いに牛を犠牲にして祈ったものが化けて出てくるといわれ、恐れられているものです。
この丑鬼のいわれに気づいた茶臼山城兵は、牛の角に松明をつけて放しました。
戦勝に意気盛んな小早川兵も、恐れおののき犠牲者を出したようです。

小国茶臼山古墳・城山までの道案内

(ふれあいどころ437から約2.7km)

【1】ふれあいどころ437の出口から左折。

1車線、約100m

【2】横断歩道のある交差点を右折し、国道437号玖珂方面へ。

2車線、約300m

【3】押ボタン式信号と明教寺のある交差点を左折。

2車線、約800m

【4】突き当たりを左折し、県道151号を南へ。

2車線、約700m

【5】右手に「小国茶臼山古墳 ここから500m」の標柱がある十字交差点を右折する。

1車線(幅員狭小)、約350m

【6】右折する。

1車線(幅員狭小)、約300m

【7】分かれ道がある。右の方へ進む。

1車線(幅員狭小)、約100m

【8】分かれ道がある。左の方へ進む。

徒歩道、約50m

【9】地蔵が見える。登り終えると山頂に到着。