【音声読み上げ】
柳井市日積7641番地1
若杉地区の県道柳井由宇線沿いには、不動院と八十八箇所、人磨呂神社、子安観音などから構成される不動院霊場があります。
県道の拡幅のため、平成11年(1999年)頃に不動院霊場が再整備され、あたかも古城跡を思わせるような丘となっています。
不動院は、岩国にあった修験宗三宝院派の金正院の末寺で、真言宗醍醐寺派に属します。
『寺社記』には、「本尊不動明王長七寸、脇立二童子 長寸 開基 三学 延宝八年(1680年)寂」とあります。
昭和52年(1977年)の火災により、鐘楼を残すだけとなりましたが、地域の人々によってお堂が建てられ、管理されています。
この不動院は、京都醍醐寺百一世座主、真言宗醍醐寺派第九世管長、大本山三宝院門跡に就任された、岡田宥秀大僧正(おかだゆうしゅう、1907~1985年)の生誕された寺院です。
「識分知足(分を識(し)らば足るを知る)」と書かれた額が日積小学校に残されています。
丘には、不動院と寺院関連の八十八箇所の地蔵様が整理され、一か所に立ち並んでいます。
また、柿本人麻呂をまつった人磨呂神社などがまつられています。
一段下がった所には、安産や幼児の成長を守護する子安観音が安置されています。
若杉不動院霊場案内
(柳井市蔵)
昭和52年(1977年)の本堂焼失後、地区住民によって片づけられた際に、焼け落ちた大師堂の下から、焼け残りの大般若経93巻が発見されました。
この大般若経は、南北朝時代の至徳2年(1385年)から嘉慶3年(1389年)の頃、大願主楊江人真光禅尼が周防国楊井荘長福寺へ施入したもので、筆者は楊江比丘をはじめ数人です。
柳井荘長福寺がどこにあったかは不明です。また、どのような経緯で日積の不動院へ移されたかも不明です。
若杉不動院霊場までの道案内
(ふれあいどころ437から約3.0km)
【1】ふれあいどころ437の出口から左折。
1車線、約100m
【2】横断歩道のある交差点を右折し、国道437号玖珂方面へ。
2車線、約300m
【3】押ボタン式信号と明教寺のある交差点を左折。
2車線、約800m
【4】突き当たりを右折し、県道151号へ。
2車線、約400m
【5】突き当たりを左折し、県道149号へ。
2車線、約1,400m
【6】「日積浄水場」の案内標識のある交差点を過ぎると、左手に不動院が見えてくる。