割石地名発祥の破石

【音声読み上げ】


柳井市日積7954番地

日積の西端に位置する集落、割石地区の地名の由来は、県道柳井由宇線(県道149 号)の道沿 いにある奇岩(割石殿)が始まりと伝えられています。
享保11年(1726年)に作成された岩国領内の地誌『享保増補村記』によると、「割石殿、割石川端。
由来、分明ならず。古よりわり石殿と称する故に、此辺、所の名とせり。」とあります。

享保増補村記附図(岩国徴古館蔵)
享保増補村記附図(岩国徴古館蔵)

若杉川の上流が県道と接近している所の狭間に、大きな岩と小さな祠があります。
大きな岩が「割石殿」で、岩の上の小さな祠は「森様」と呼ばれています。
大岩の前の祠は、岩とは関係なく、川の護岸工事の記念に祀られたものです。
境内に柿の木によく似た「チシャノキ」といわれる珍しい大木があります。
6月中旬から真っ白い花が咲き、9月中旬には黄色や橙色の果実がなります。
以前は2本植えられていましたが、1本は台風で倒れてしまいました。

チシャノキ
チシャノキ

また、「チシャノキ」のそばに記念碑が建っており、風化して分かりにくくなっていますが、「昭和26年4月改築記念碑」と刻まれており、戦後の大きな台風襲来後に川の護岸整備をした記念に建てられたものです。

記念碑
記念碑

かつての破石周辺のことを教えていただきました

近くに住む、昭和6年(1931年)生まれの井本さんにお話を伺いました。
このあたりには日積の中でも一番大きな岩がたくさんあった。
尖ったような岩もあり、今残っている「破石」岩よりも大きかった。
終戦直後に大きな台風が来て、集落は大被害を受けたため、当時の白地村⾧が上京して陳情し、かなりの補助金をもらって帰ってきた。
全て川の護岸に使った。
昔はブロックというものはなかったので、「破石」岩以外の大きな岩を全部割って、護岸の石垣に使った。
「破石」岩は上に神様(森様)が祀られていたので残した。
「破石」岩の裏側にかつての大岩を取り除いた跡がある。

森様
森様

また、「帯岩」という岩もあった。
白い石が岩の周りに帯のように巻きついていて、子供の頃はそこに登って遊んでいた。
道路の邪魔になるため取り除かれ、欲しいという人に貰われていった。
「森様」は日の神様で、かつてこの集落には13 軒あり、毎年1回、「講」のお祭りをしていた。
日積八幡宮(大帯姫八幡宮)の宮司は「破石」岩を「割石殿」と呼んで祝詞をあげていた。
今では5軒に減ったため、「講」のお祭りはしなくなった。
脚立は掃除をするためのもので、上に登ると広くなっている。
下にある祠とその左側の記念碑は護岸工事の完成を記念して建てたもの。

記念碑
記念碑

今道路になっているところには、農協の収穫米の大きな保管倉庫があった。
割石地区では、米を300俵くらい供出していた。
旧道は曲がっていて、よく事故が起こっていた。
明治19年(1886年)生まれの人から聞いた話では、生まれた時から集落に太鼓があり、神式の葬儀の時に叩いていた。
栗の木で出来ており「栗抜き太鼓」と言っていた。

割石地名発祥の破石までの道案内

(ふれあいどころ437から約4.5km)

【1】ふれあいどころ437の出口から左折。

1車線、約100m

【2】横断歩道のある交差点を右折し、国道437号玖珂方面へ。

2車線、約300m

【3】押ボタン式信号と明教寺のある交差点を左折。

2車線、約800m

【4】突き当たりを右折し、県道151号へ。

2車線、約400m

【5】突き当たりを左折し、県道149号へ。

2車線、約2.9km

【6】不動院を過ぎ、「🅿」の標識のある駐車場を過ぎて左側に破石がある。