日積小学校発祥の地 教徳寺

【音声読み上げ】


柳井市日積1202番地

忍道の教徳寺(浄土真宗)は、弘治年間(戦国時代)に、願秀(俗名末永作次郎)が開祖したといわれる古い寺です。
明治5年(1872年)の学制頒布を経て、明治6年(1873年)1月、村落日積小学が、仮教場として教徳寺に設置されました。
伊陸村長から後に国会議員にもなった、硲俊聡(旧姓米村)が教師を勤めています。
明治7年(1874年)6月、小学校は北東約500mにある瑞雲寺へ移転しました。
現在、日積小学校は約1.3km北にあります。

手水鉢
手水鉢

山門を入ると、右手の手水鉢には見事な盃状穴が15個あり、目を見張らせます。

フジ棚
フジ棚

また、本堂の前庭では、毎年4月下旬から5月上旬にかけてフジの花が見頃となり、見事な花房がさがります。
品種は花房の長い「ノダフジ」と思われますが、樹齢や由来は定かでありません。
しかし、少なくとも百年以上の樹齢と思われます。
棚高3メートル、樹冠の広がり10メートル四方に咲き誇る花房の群れは壮観です。
フジ棚の下には、弁護士として活躍し、本堂再建に大きく貢献した西原要氏を顕彰する碑があります。

日積小学校の沿革

明治 6年(1873年)村落日積小学を開設、仮教場を教徳寺に置く。
明治 7年(1874年)教場を宮ヶ峠の瑞雲寺に移転。
明治13年(1880年)大里へ校舎新築移転。(大里小起点)
明治18年(1885年)日積小学校となり、本校を宮ヶ峠へ移転。大里は分校となる。
明治20年(1887年)日積尋常小学校と改称。
明治21年(1888年)新校舎が宮ヶ峠に落成
明治25年(1892年)大里分校が独立し、大里尋常小学校となる。
明治33年(1900年)高等科を併設し、日積尋常高等小学校と改称。
明治41年(1908年)新校舎を新築(昭和33年まで使用)
昭和16年(1941年)日積国民学校と改称。
昭和22年(1947年)日積小学校と改称
昭和38年(1963年)新校舎を鉄筋で建設
昭和52年(1977年)体育館・特別教室建設
平成15年(2003年)3月日積小学校・大里小学校閉校。
平成15年(2003年)4月(新)日積小学校開校。
平成17年(2005年)3月隣接する日積中学校が閉校。
平成22年(2010年)10月新校舎(普通教室棟)落成。
平成31年(2019年)2月管理特別棟及びコミュニティ・ルーム供用開始。
日積尋常高等小学校落成式記念絵葉書
日積尋常高等小学校落成式記念絵葉書
(明治41年(1908年)、玉光館発行)
日積小学校(令和4年(2022年))
日積小学校(令和4年(2022年))
雪と建替前の教徳寺
雪と建替前の教徳寺
教徳寺には農繁期託児所があった(昭和初期撮影)
教徳寺には農繁期託児所があった(昭和初期撮影)
教徳寺には農繁期託児所があった(昭和初期撮影)

教徳寺までの道案内

教徳寺までの道案内

(ふれあいどころ437から約4.1km)

【1】ふれあいどころ437の出口から左折。

1車線、約100m

【2】横断歩道のある交差点を右折し、国道437号玖珂方面へ。

2車線、約300m

【3】押ボタン式信号と明教寺のある交差点を左折。

2車線、約800m

【4】突き当たりを左折し、県道151号を大畠方面へ南下する。

2車線、約1.1km

【5】日積小学校が見えたところで左折。

2→1車線、約1.4km

【6】「教徳寺」の案内石標がある。右折する。

1車線、約300m

【7】坂道を上り、消防機庫を過ぎてすぐ右折する。

1車線、約50m

【8】教徳寺に到着する。