大愚和尚生誕地
萩市の、毛利藩主の墓所のある、東光寺第15世住職で、同寺中興の大愚和尚は、日積中山の生まれです。
今は、畑になっている「大段屋敷」といわれるこの地に、元文4年(1736)に生まれました。
百姓の子として生まれた彼は、長ずると志を立て、僧侶となりました。
生来の俊才と懸命の努力で、各地に寺を創建し、高名な禅僧となり、ついに東光寺の住職に迎えられました。
時の藩主、毛利重就(もうりしげたか)公との親しい交流があったようです。
その在職中、大雄宝殿の修復、山門の建立等の大事業を行いました。
在職16年で東光寺を出、最後は萩に帰り、文政七年(1824)高安寺において、85才で没しました。