室津半島

室津半島です。

熊毛浦は、熊毛郷を大野として平生湾をさす説(御園生翁甫「防長地名淵鑑」防長倶楽部)もあるが、熊毛半島とその西に連なる馬島・佐合島・長島などに囲まれた内海全体をさすべきであろう。現在でも外海(馬島ー長島の西側)は荒れても内海は荒れることがないといわれるおだやかな内湾で、瀬戸内海上交通の要衝であったことはすでに記した白鳥・阿多田・神花山などの前方後円墳の存在が物語っている。
一方「からの浦」については、曽根の百済部の地名をひいてカン人の地であることから、カラとなまったとする説や、尾国から阿月の宇積へ抜ける峠をカナンドウすなわちカラの峠と呼んでいることから尾国付近をカラの浦とする説(大木信雄「熊毛半島の今昔」「防長新聞」昭和24年4月)もある。熊毛浦といい、可良浦といい、平生湾から上関に至る内海の一部もしくは全体の呼称であることは確実であり、熊毛郡衙を大野と想定する限りにおいては船舶の場所はここに近いところとすべきであろうか。

白鳥古墳、神花山古墳、岩田遺跡と史跡が集中している。古代は「海の要所」として有力な豪族が支配していた地域である。