藤坂屋と国木田独歩柳井最後の住まい

◎藤坂屋(銘菓[三角餅]本店)

○[岩国・柳井の歴史]全国に知られた銘菓[三角餅]
[餅は円形(まる)きが普通(なみ)なるを故意(わざ)と三角(かく)に捻(ひね)りて、客(きゃく)の眼を惹(ひ)かんと企(たく)みしやうなれど実は餡(あん)をつつむに手数(てすう)のかからぬ工夫不思議にあたりて、三角餅(みかどもち)の名何時(いつ)しか其(その)近在(きんざい)に広(ひろが)リ、此茶店(このちゃや)の小さいに似ぬ繁盛(はんじょう)・・] これは、明治33年(1900)12月1日、[太陽]6巻15号に発表された国木田独歩の作品[置土産]の冒頭の文章である。明治27年8月、独歩は佐伯町(大分県佐伯市)の鶴谷学館の教師を辞職し、前年に裁判所勤務を退官した父と母の住む、柳井村宮本の藤坂屋(銘菓[三角餅]本店)へ帰省した。この三角餅の創業は、文化2年(1805)という。独歩は、当家の主人幸衛門(藤坂太一郎)、店の娘おきぬ(太一郎の妻の姉イチ)、お常(ヌ一郎のいとこキヌ)、若者吉次(隣の代用八幡宮神主の子)らをモデルにして、小説[置土産]を書いており、この作品が全国で愛読されるようになると、三角餅も全国的に知られるようになったのである。この家の前に建つ[置土産]の碑は、独歩の岩国小学校在学中に同級生であった代議士の永田新之允の揮毫(きごう)である。

◎[置土産]の碑