登り窯
↑大里に現残する[登りがま]です。
中学校歴史資料集より
日本では、古墳時代初頭までは野焼きのように土器焼成坑、土師器焼成坑などの施設で酸化炎焼成によって土器が焼かれていたが、古墳時代中期より朝鮮半島より須恵器が伝来したことに伴ってその生産方法である登り窯(窖窯)による還元炎焼成、ならびに轆轤使用も伝わった。16世紀には、熱効率と大量生産に向いた大窯が出現し、まもなく江戸時代になると、かまぼこ状の焼成室を階段状に連ねて仕上がりのばらつきを防ぐとともに大量生産を可能にしたいっそう熱効率が改良された連房式登窯が出現する。近代まで窯の主流を占めていたが、急速に減少しつつある。
○【詳説日本史】山川出版社、高校教科書。p26【古墳時代】土器は、古墳時代前期から中期の初めまでは弥生土器の系譜を引く赤焼きの土師器が用いられたが、5世紀になると朝鮮半島から硬質で灰色の須恵器の製作技術が伝えられ、土師器とともに用いられるようになった。