戸長
戸長「高井平四郎」
1大小区制
明治4年廃藩置県で、岩国県が誕生し、(後に山口県に統合)戸籍法の交付で、日積は第四大区第二小区に分割りされ、戸籍専管(主は姓氏設定)の戸長が任命されたが、その戸長の名は明らかでない。なお、一般行政事務を取り扱う庄屋は、副戸長と改称し、戸籍事務も合わせ事務の一元化をはかった。
明治8年、ほぼ戸籍事務も終末となり、庄屋の副戸長は戸長と改称され、松井弁治氏が自宅を小区扱所として、事務をとった。
2郡区町村制
明治11年10月、郡区町村編成法が定められ、大小区制は廃された。第四大区は玖珂部に、第二小区は日積村と改称、編成替えされる。
初代戸長は、山本繁生氏(明治10~14)が就任し、後にニ代目に高井平四郎氏(明治14~21)が就任し、戸長役場は宮ヶ峠に置かれた。
なお、松井弁治は県議会議員を明治14年から22年までつとめた。
3自治市町村時代
明治22年4月、地方自治を重視した市町村制を実施し、初代村長に松井弁治氏が選ばれた。
4地方自治法実施
昭和22年4月、住民の直接選挙による地方自治法が実施された。民選初代の村長は、重村精麿氏が選ばれた。