涙松の碑

◎「涙松の碑」→萩城下から橋本橋を渡って山口へ通じる旧街道にある。この道は大屋から千法師付近で左へ折れ曲がるので、城下の町並が見えるのもここが最後で、涙ながらに木の間がくれに別れを惜しむのあまり、この街道並木をいつからか「涙松」と呼ぶようになったという。安政6年(1859)5月25日、萩城下をあとに…

日積小5年生の、稲刈り体験

昨日9月14日に日積小5年生が稲刈り体験をしました。 11日、月曜の予定でしたが雨のため昨日に変更です。 田植えは5月22日に行われました。         それから4か月、十分実ってくれました。         &nb…

弥生土器

東京の弥生町で発見されたので「弥生土器」と名付けられた。 この土器は、明治初期に東京の文京区向岡弥生町で偶然発見された壺形土器に、後日出土地名を付与して命名されたものである。東京大学の学生であった有坂氏らが表上に埋もれていた土器を発見し、この土器がそれまで知られていた縄文土器や土師器(当時は祝部土器…

タマスダレ

◎「玉すだれ」 今年もタマスダレが咲く頃となりました。タマスダレは、ヒガンバナ科タマスダレ属の球根草。和名の由来は、白い小さな花を「玉」に、葉が集まっている様子を「簾」に例えたことによる。

秋の七草

尾花 「萩の花 尾花葛花 なでしこが花 をみなへし また藤袴 朝顔が花」 山上憶良(巻8・1538) 秋の七草を選び出したのは、万葉集を代表する歌人、山上憶良である。旧暦では秋にあたる7月7日の七夕の宴席で、憶良は「萩の花」で始まる歌を披露した。 葛花 なでしこが花 萩の花 女郎花(おみなえし) 朝…

般若姫物語

般若姫の物語は、日本各地に残っている「炭焼き小五郎」の話がもとになっています。 昔、継体天皇3年(509)大分・豊後の玉田(現 豊後大野市三重町玉田)に生まれ、早くに父母を亡くして孤児となり、炭焼きの翁に育てられた小五郎と言う子がいた。やがて翁も亡くなり、その後を継いで貧しい炭焼きの若者となった。 …

化石かな?

先日、鷹の巣の西本さんが石灰を焼いていたと伝えられている場所の下の方で見つけました。よく見るとシダの葉の模様のようなものがみえます。皆さんの中で分かる人がいたら調べてもらえませんか。申し出を待ちます。

日積八朔大踊り、やぐらなどの準備に参加

八朔大踊りの準備は日積八朔踊振興会が中心となり、 地域のみなさんで行っています。 八朔当日の朝7時半より準備を始めます。 先週の日曜20日にやぐらの骨組み、車道や駐車場、周囲の 草刈りは済ませておられました。             やぐら…

八朔大踊りで、子供太鼓だよ

一昨日、8月26日は日積大帯姫八幡宮で八朔大踊りの日です。 心配された天気も大丈夫でした。 19時から八朔大踊りが行われました。           19時半から音頭師の唄に合わせて子ども太鼓もスタートです。 1人指の骨折で参加できなく、27人でたた…

日積八朔大踊り

8月26日日積八朔大踊りが行われました。音頭に合わせて打つ子どもたちの大鼓が、ふるさとの歴史ある祭りを盛り上げてくれています。 駐車場から会場まで続く竹の灯りで飾った階段は、幻想的なふんい気に包まれていました。日積ならでのすばらしい企画です。多くの親子連れが上り下りする姿が見られました。。 この大踊…