高木一族の五輪塔
◎【由宇町史】p179 一、岩倉二高木屋敷ト云処アリ、広家公当国御打入の節、高木隠岐同市之助(此屋敷二住ス)其外一類難波等不応御下知アリ、其咎二依テ一家ヲ滅シ玉フ、市之助妻ハ大島ノ村上故彼方へ赴、難波ハ小土路二テ法躰ス(【玖珂郡志】)。
当時、由宇村には、村田、明川、難波、角井、高木、友田、槙尾の高木と俗に【七屋敷】といわれる土豪がいて、そのうちの難波、高木氏が吉川氏の【お打入り】に手向ったというのである。これは恐らく慶長5年の桂但馬以下の先発隊の由宇移駐にあたってのことであろう。