馬頭観音


大規模農道取り付け道を少し上り、左へ草道が岡の原へ通じている。これは、元小瀬ー上関往還の数少ない原形を止めている3尺道(約1m)である。この道端に2体の野仏が鎮座している。 昔、荷物運搬中の馬が倒れたので祀ったといわれる。いわゆる11面の馬頭観音である。今も、時々施餓鬼(せがき)供養の旗を見かける。吉川藩の地誌享保増補村記(1726)によると

日積村 石高 5242石

田 293町  畑 84町

家 686軒  牛 467疋、 馬 146疋

農家数650軒とすると、平均1頭の牛馬を飼っていた。馬の数が多いのは、運搬手段に利用したためと思われる。その頃、牛馬は家の宝として大切にされ、病気や事故を起こすと主人の身代わりになったと悼まれた。
元、中院奥にあった杵築(きづき)神社は、牛馬の疫病(炭疸病か)の退散を祈願して祀ったといわれ、祭日の9月1日、牛馬の行列参拝をしたと聞いている。