西善寺

「西善寺」龍源山大字日積
大内義隆の家来「岩政佐源太清綱」は、主家の滅亡後大畠に住んでいたが、弘治元年(1555)ごろ伊陸に移って妻の姓玉井氏を称した。
まもなく同村の永井謀から蓮如の染筆名号をえて真宗に帰依し、伊保庄に赴いて布教に専念したという。初めは誹謗するものも多かったが、しだいに信者を増していった。その後、ふたたび伊陸に帰り、出家して専祐と号し、日積に草庵を結んだのが西善寺の草創である。二世了専、三世宗観を経て四世願世の代に木仏を免許され、五世正秀の代、正保正秀の代、正保四年(1647)に寺号を免許された。ついで覚恵・覚俊・探道・了道・雲渓・月桂・主見・賢珠を経て、現在15代蓮祐に至る。
(「柳井市史総論篇p1034)

○「玖珂郡志」広瀬喜運 著 1761-1833。p434
一(平松下川角)
真宗、西善寺。(善教寺門徒)富田善宗寺末・開基玉井佐源太清綱。大内家人。富田ニテ出家トナリ専祐ト号。
一真宗庵。西善寺の下。 開基専祐隠居所也。