柳井にっぽん晴れ街道
柳井市には、江戸期の主要な往還道として、小瀬(岩国市)から上関(上関町)までの「小瀬ー上関往還」と、岩国(岩国市)から堅ケ浜(平生町)までの「岩国ー堅ケ浜往還」があり、柳井にっぽん晴れ街道は、この二往還のうち、市内に所在する部分を指し、その延長は合わせて約43kmにも及んでいる。
「小瀬ー上関往還」の市内起点となる日積地区や、「岩国ー堅ケ浜往還」の市内起点となる伊陸地区は、岩国吉川藩の重要な内陸穀倉地帯で、往還道は米を始めとする産物の輸送に重要な役割を果たしていた。
大畠地区は、瀬戸内海の難所、大畠瀬戸の風待ち港として発達し、遠崎地区にある「清狂草堂」は、阿月地区にある「克己堂」とともに、明治維新に貢献した数多くの人材を輩出した塾で、往還道は維新の志士たちが往来する道として重要な役割を果たしていた。
古市・金屋地区は、岩国吉川藩のお納戸と呼ばれ、海陸交通の拠点として栄え、二つの往還が交わる地区となっている。伊保の庄・阿月地区の「小瀬ー上関往還」は、瀬戸内海沿岸に位置し、海を眺めながら歩くことができ、新庄・余田地区は市街地西部に位置し、「岩国ー堅ケ浜往還」は田園地帯をゆっくり歩くことができる。
柳井にっぽん晴れ街道協議会では、古市・金屋の町並みと、大畠・石神の町並みとの連携を図りながら、マップづくりや街道の整備を行い、楽しみながら歩ける街道の復元をめざしている。