諏訪神社

藩制時代の古記「神社帳」に、諏訪大明神と出ていますが、明治初年の「神社明細帳」によると、大帯姫八幡宮攝社、諏訪神社と出ています。信濃諏訪神社より勧請、創建不明とあります。祭神は鳥河沼姫神、健御名方尊、大巳貴命といわれ、御神体は鎌だそうです。
『玖珂郡志』に、江戸時代応安年中、大内弘世が造営しております。また、元禄13年春、牛馬の流行病がはやったので、祈祷すると止み、享保17年に虫枯れ、雨乞いの祈祷をすると雨が降り、虫害も治ったと出ています。こうしたことから、五穀豊饒、農耕のお宮と考えられます。境内の数社は、明治の神社整理の小社といわれております。

また、石段の傍らに、神官の高井澄男の顕彰碑があります。この人は、大谷の高井家の出で、国学者であり、当社の護持に努めました。