若杉不動院の丘
県道柳井由宇線改修にともない、若杉地区にある真言宗醍醐寺派寺院の不動院の境内と、その周辺が整備集合されて、あたかも古城跡を思わせるような丘があります。
その丘には、不動院と寺院関連の八十八ケ所の地蔵様が整理され一ケ所に立ち並んでいます。丘の上には、柿本人麻呂を祀った人麻呂様の祠があり、その横にはいずも様、多賀社が祀られています。一段下がった所には、お乳の神様として人々の信仰を集めた子安観音様が安置されて、丘全体が信仰の場であり霊場となっています。
不動院は、『寺社記』に醍醐寺派岩国金正院末寺で「本尊不動明王長七寸、脇立二童子 長寸 開基三学 延宝八年寂」と記録があるが、火災にあって鐘楼を残すだけとなったが、現在は地域の人々によってお堂が建てられ管理されています。
この不動院は、京都醍醐寺百一世座主、真言宗醍醐寺派第九世管長、大本山三宝院門跡に就任された、岡田宥秀大僧正の生誕された寺院であって、醍醐寺とはとくに深い関係のある寺です。現在も、毎年八月には総本山醍醐寺や、彦根の長寿院から僧侶の方々が来られて法要を営み、「護摩をたく」行事が行われて、多くの参拝者を集めています。
岡田宥秀大僧正は書をよくされ、晩年帰郷されたとき日積小学校にも立ち寄られ、師の書が残されています。 [足知分識]