江戸時代

江戸時代をどのように捉えればよいか、苦心の未考えついたのが上のグラフです。日本の歴史と同時に、日積の歴史の流れをこのグラフに当てはめて見ていくと分かりやすいと思います。ペリ一(黒船)来航からの幕末にかけて急激な変化が起こります。大島ロの戦いが特に日積の歴史に影響します。 ◎[四境戦争~大島口の戦い~…

玖珂郡志と享保増補村記

○「玖珂郡志」広瀬喜運 著 1761-1833 「日積村史」日住 日包」 一日積ハ由宇ヨリ南、川上也。東西・南北各一里十八丁。 一大帯媛八幡宮。中尊大元尊神「持2左御手鏡1」今称2八幡宮1故奉レ祭所ノ神霊、中、大帯媛尊。左、仲哀天皇。右、応神天皇。各神像。又、左祭、忠誠社ハ日本武尊・武内宿祢、各東脇…

銭壺山と十楽寺

右側の四角堆の屋根が十楽寺です。 十楽寺は、弘法大師が諸国巡礼の折り、中山の里を尋ねられ、鳩の子に導かれて、銭坪山に登られ、御来光を拝され、山上に開基された寺といわれています。 本尊の阿弥陀仏は恵心僧都の作といわれ、市内では最古の藤原仏といわれ、市の文化財に指定されております。 何時の頃か、山上より…

大愚和尚生誕地

萩市の、毛利藩主の墓所のある、東光寺第15世住職で、同寺中興の大愚和尚は、日積中山の生まれです。 今は、畑になっている「大段屋敷」といわれるこの地に、元文4年(1736)に生まれました。 百姓の子として生まれた彼は、長ずると志を立て、僧侶となりました。 生来の俊才と懸命の努力で、各地に寺を創建し、高…

高井氏

大帯姫八幡宮の玉垣に高井藤右衛門の銘あり 弘安の役で毛利八ケ国時代に入り、日積の直接の支配は高井氏にかわった。高井は伊予の河野水軍の出で、後に毛利に仕えて、正覚寺守恩の配下であったらしい。 守恩は、毛利五奉行の一人、粟屋元親の弟で、毛利の陣僧でもあった。弘安の役後、日積の杉氏の後地を領し、由宇に住し…

大帯姫八幡宮

柳井市大字日積宮の下 当社の創建は明らかでないが、社記によると天平宝字年中(756~’64)といい、「玖珂郡志」にも当社の旧社地日積宮ケ原の「宮石」の図を載せ、その注に「按、寛正3 年(1462)、大内左京太夫政弘ヨリ氏子境ノ証文アリ、勧請ハ 天平宝字也」とし、宮ケ原から現在の社地への遷座は、「大内…

鍛治屋原遺跡

鍛冶屋原の地は、元は「市の原」と言った。ここにも、日積南方代官杉氏が居り、市が立っていたからです。 元亀・天正年間(1570年代)に「鍛冶神右衛門」という鍛冶屋がおり、矢を造っていた伝承があります。 八幡宮の棟札にも「鍛冶神右衛門」の名があり、八幡宮の改築にも深く関わり、しかも、大檀那である杉氏との…

日積の歴史年表

◎「日積歴史年表」 BC5000「縄文期」大里遺跡、磨製石斧2 黒島浜遺跡(前期)、宮田・与浦遺跡(後期) 「弥生期」大谷で弥生系石斧、大里遺跡土器、大原遺跡石斧2・土器片 AD 500「古墳期」小国茶臼山古墳、八幡境内、南仲院より土師器片 758「天平宝字2」日積八幡宮を宇佐八幡宮より勧請(社伝)…