琴石山

柳井の名峰琴石山に登ると四方に視界が開け、南には風光明媚な瀬戸内海が望まれ、眼下には柳井市街が一望でき古代の遺跡熊毛王の墓と言われる前方後円墳を見下ろすことができます。振り返ると山々に囲まれた日積の盆地や近郷の山里を見渡すことができます。 この山は標高545メートルの岩山で道は非常に険しく、昔には、…

教徳寺

忍道の教徳寺(浄土真宗)は、弘治年間(戦国時代)に、願秀(俗名末永作次郎)の開祖といわれる古い寺です。 明治5年の学制領布で、最初の村落日積小学校が、この寺を仮教場として設置されました。伊陸村長から後に、国会議員にもなった、硲俊聡(旧姓米村)が教師を勤めております。 山門を入ると、手洗鉢に見事な盃状…

瑞雲寺

1373年「応安6年」大内弘世瑞雲寺伽藍建立(郡志)。正読国師を招いて開山とする。 今も、国師の木像が残っています。本尊は、薬師如来といわれますが、秘仏で、住職の夢枕に立たれない限り、ご開張はありません。 境内八丁といわれる大寺でしたが、大内氏の滅亡で、建物の一部を岩国の寺の用材としたり、他の寺の末…

西善寺

「西善寺」龍源山大字日積 大内義隆の家来「岩政佐源太清綱」は、主家の滅亡後大畠に住んでいたが、弘治元年(1555)ごろ伊陸に移って妻の姓玉井氏を称した。 まもなく同村の永井謀から蓮如の染筆名号をえて真宗に帰依し、伊保庄に赴いて布教に専念したという。初めは誹謗するものも多かったが、しだいに信者を増して…

馬頭観音

大規模農道取り付け道を少し上り、左へ草道が岡の原へ通じている。これは、元小瀬ー上関往還の数少ない原形を止めている3尺道(約1m)である。この道端に2体の野仏が鎮座している。 昔、荷物運搬中の馬が倒れたので祀ったといわれる。いわゆる11面の馬頭観音である。今も、時々施餓鬼(せがき)供養の旗を見かける。…

ふれ4誕生祭で、妖怪ウォッチ当てくじなどなど

先週の日曜日、ふれあいどころ437誕生祭が開催されました。 ひづみ子ども会育成会も出店させていただきました。 女の子3人がお手伝いしてくました。いい子たちです。 主なものは、妖怪ウォッチとスーパーボールの当てくじ。 今回の当てくじは200円で両方出来て、シールも付けました。 他に50円お菓子と飲料販…

南大原遺跡

縄文土器片ヘビの装飾。柳井の遺跡で確認。古墳期の建物群も。=柳井市日積の南大原遺跡(西善寺前の舌状台地)で、縄文時代中期(約6000年前)とみられる、ヘビを模したような装飾土器片が見つかった。市教委によると、このような装飾土器は山口県内では珍しいという。M文化財指導員は[ヘビを模したような縄文土器は…

文殊堂

三丘隊が西善寺に駐屯して大島郡の玖可浦戦争に出陣した際炊飯や野営をした場所が、西善寺の近くにある「文殊堂」の広場だといわれています。西善寺前住職が子どもの頃まで炊飯に使用したと思われる大釜があったそうです。 このお堂は、『村記』(江戸初期)に「真言宗大智寺の跡に文珠堂あり。」と出ていますが、正確な創…

小国茶臼山

《小国茶臼山》 日積の小国にある茶臼山は、なだらかな山並みが、ひときわこんもりと盛り上がった形をしたところで、あたかも茶を挽く臼のように見えるためか茶臼山と呼ばれています。 大昔には円墳であったといい伝えられていますが、中世の頃に山城が築かれていました。 玖珂郡志に、「小国城山。本丸三間半ニ四間程、…

ぼくたちわたしたちのバス乗り場です

日積中山地区のバス停で見かけた貼り紙です。「スクールバスがとまります。ぼくたちわたくしたちがそうじをしています。マナーを守ってね」 以前は、空き缶や弁当がらが散乱していましたが、今はきれいな状態です。 子どもたちの貼り紙の効果があったようですね。