六面地蔵

《慶徳庵と六面地蔵菩薩》

割石の集落を少し上がった所に、慶徳庵のお堂があります。
慶徳庵には、お大師様(弘法大師空海)と観音様が祀ってあります。昔はお坊様がおられたようで、境内には、お坊様独特のお墓が一基残っています。
今では無人で、地区(岡じょう)の人々によって毎年「施餓鬼(せがき)」が行われ、大切に管理されています。
この慶徳庵の境内には、六つのお顔を持つ一体の石仏(六面地蔵菩薩)祀られています。

法衣を着て蓮座の上に立って合唱している姿の石仏で、舟型の光背には、向かって右側に「延命六面地蔵尊為一千部讀追傳也」と、左側には「源藝州厳島住天文十辛丑三月廿一日定」と彫り込まれています。
この地割石(破石)は天文10年2月10日に、時の山口を治めていた大内義隆が厳島様に灯明料地として寄進したので、厳島様の神領地なっていました。
神領地となったことで、領地の安泰と人々の延命を祈願して一千部経を読誦し、六道の六地蔵を意識して、六つの顔を彫り込んだ石仏が、天文10年3月21日に造られたものと思われる。
この六面地蔵について、地元では次のような話が語り継がれています。
「昔、柳井から山越しにやって来た六人の侍が厳島の役人と名乗って、厳しい年貢の取り立てや無理難題の接待など押し付けるので、困り果てた人々は、この六人を撲殺してしまいました。地の人々は、殺した六人のたたりを恐れ、石仏に六面を刻んで霊を弔った」ということです。
※ 柳井市文化財指定 昭和50年9月5日

また、端に位置する集落、割石地区の地名のもとは、県道柳井由宇線の道沿いにある奇岩(割石殿)に起因するようです。
享保11年(1726)当時の吉川藩は「享保増補村記」の作成を命じました。それによると、『割り石殿、割石川端。由来、分明ならず。古より割石殿と称する故に、此辺、所の名とせり。』とあります。
若杉川の上流が県道と接近している所の狭間に、大きな岩とお堂「もり様」があります。お堂のすぐ後ろにある大岩の上に小さな祠があり、この岩が「割石殿」であって前の「もり様」は岩と関係のあるお堂と思われます。
お堂の境内に、柿の木によく似た珍しい大木があります。「チシャノキ」といわれる樹木で、以前は2本植えられていたそうだが、1本は台風で倒れてしまいました。