朝鮮通信使と上関
◎【朝鮮通信使と上関】朝鮮通信使とは、鎖国下の江戸時代、徳川幕府が唯一外交関係を結んだ李氏朝鮮王国からの親善外交使節団の事で、江戸時代260年間に12度来日しました。使節団の総人数は400人~500人で正使、副使、従事官の三使をはじめ、朝鮮王国が誇る優秀な学者、文人、医者、画家等が選ばれ主都漢城(ソウル)から江戸まで約2000kmの海陸を8ケ月~10ケ月かけて往復しました。一度の来日に要する費用は現在の金額に換算して約600億円で当時、幕府の年間収入を上まわる膨大な出費でした。この費用は関係する諸大名が負担しました。瀬戸内海で最初の寄港地、上関は毛利本藩の直轄地として通信使を迎えるため、3000坪もの御茶屋と呼ばれる迎賓館を設置し、藩士藩民をあげて歓待しました。記録によれば正徳元(1711)年に通信使が来航した際、動員された藩士は延べ9700人、また1400艘の船が上関の海を埋め尽くしたと言われています。上関には当時の面影を残す【旧上関番所】や御茶屋跡等が点在し、韓国や全国の関係地から視察に訪れ静かなブームとなっています。
上関御茶屋(超専寺蔵)