祝島の神舞
○【神舞の由来】伝承によれば、仁和2年(886)8月豊後国伊美郷の人たちが領主の命を受け、山城国石清水八幡宮より神霊を奉持して海路下向中嵐に遭い、祝島三浦湾に漂着しました。当時、この地には三軒の民家があり、厳しい自然環境の中、生活は苦しいながらも、彼らは神官ら一行を心からもてなしたといわれています。一行はそのお礼として神霊を祀り、平安を祈願し、貴重な五穀の種を分与したといいます。それを機縁に島人は荒神を敬い、大歳神を祀り農耕を始めたことにより生活は大きく向上しました。それからは、そのお礼も込めて祝島島民は毎年3月(近年は8月)豊後の国伊美別宮社に【お種戻し】と称し、欠かさず参拝するようになり、現在も続いています。そして、4、5年に一度は大分県国見町の伊美別宮社から、20余名の神官、里楽師を迎え、祝島を祭場に神恩感謝の合同祭事を行います。周防灘(山口県と大分県間)50km余を御座船が往復し、大漁旗で飾った櫂伝馬船や漁船が織りなす入船、出船神事の海上絵巻は絢爛、勇壮そのものです。また新調された苫小屋の仮神殿で古式どおりに奉舞される岩戸神楽24番、夜戸神楽13番は平安時代からの神楽を今に伝える格調高い神前神楽です。お神楽は33種類で、その内祝島の神舞時だけに奉納されるお神楽が多数を占めています。なお、昭和51年(1976)11月24日【祝島の神舞】は、山口県指定無形民俗文化財に指定されました。また大分県では、【伊美別宮社の神楽】として、昭和48年(1973)重要文化財に指定されています。
○平成16年【むらの伝統文化顕彰】農林水産大臣賞受賞。
○平成20年【未来へ残したい漁業漁村の歴史文化財産百選】農林水産大臣認証受賞。
追記、約150年前までは三浦地区にある荒神山の荒神祠の近くで奉納されていたようですが、今は本浦とも呼ばれる現在の集落内広場でおこなわれます。