高井氏 大帯姫八幡宮の玉垣に高井藤右衛門の銘あり 弘安の役で毛利八ケ国時代に入り、日積の直接の支配は高井氏にかわった。高井は伊予の河野水軍の出で、後に毛利に仕えて、正覚寺守恩の配下であったらしい。 守恩は、毛利五奉行の一人、粟屋 […] 2017年5月6日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月7日 高井孝則
大帯姫八幡宮 柳井市大字日積宮の下 当社の創建は明らかでないが、社記によると天平宝字年中(756~’64)といい、「玖珂郡志」にも当社の旧社地日積宮ケ原の「宮石」の図を載せ、その注に「按、寛正3 年(1462)、大内左京太夫政弘ヨリ氏 […] 2017年5月6日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月6日 高井孝則
鍛治屋原遺跡 鍛冶屋原の地は、元は「市の原」と言った。ここにも、日積南方代官杉氏が居り、市が立っていたからです。 元亀・天正年間(1570年代)に「鍛冶神右衛門」という鍛冶屋がおり、矢を造っていた伝承があります。 八幡宮の棟札にも「鍛 […] 2017年5月6日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月8日 高井孝則
日積の歴史年表 ◎「日積歴史年表」 BC5000「縄文期」大里遺跡、磨製石斧2 黒島浜遺跡(前期)、宮田・与浦遺跡(後期) 「弥生期」大谷で弥生系石斧、大里遺跡土器、大原遺跡石斧2・土器片 AD 500「古墳期」小国茶臼山古墳、八幡境内 […] 2017年5月5日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月5日 高井孝則
幽霊草 Mさんからの報告です。 私も見ましたが、ゆうれい草とも言うそうです。 今年も稔藪地区にギンリョウソウ(銀竜草)が咲きました。 大きな株が少なくなりました。7本が最高で1株、1~3本くらいのが10株くらいポツポツと咲いてい […] 2017年5月5日 / 日積の四季 / 最終更新日時 : 2017年5月5日 高井孝則
琴石山 柳井の名峰琴石山に登ると四方に視界が開け、南には風光明媚な瀬戸内海が望まれ、眼下には柳井市街が一望でき古代の遺跡熊毛王の墓と言われる前方後円墳を見下ろすことができます。振り返ると山々に囲まれた日積の盆地や近郷の山里を見渡 […] 2017年5月4日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月5日 高井孝則
教徳寺 忍道の教徳寺(浄土真宗)は、弘治年間(戦国時代)に、願秀(俗名末永作次郎)の開祖といわれる古い寺です。 明治5年の学制領布で、最初の村落日積小学校が、この寺を仮教場として設置されました。伊陸村長から後に、国会議員にもなっ […] 2017年5月3日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月4日 高井孝則
瑞雲寺 1373年「応安6年」大内弘世瑞雲寺伽藍建立(郡志)。正読国師を招いて開山とする。 今も、国師の木像が残っています。本尊は、薬師如来といわれますが、秘仏で、住職の夢枕に立たれない限り、ご開張はありません。 境内八丁といわ […] 2017年5月2日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月5日 高井孝則
西善寺 「西善寺」龍源山大字日積 大内義隆の家来「岩政佐源太清綱」は、主家の滅亡後大畠に住んでいたが、弘治元年(1555)ごろ伊陸に移って妻の姓玉井氏を称した。 まもなく同村の永井謀から蓮如の染筆名号をえて真宗に帰依し、伊保庄に […] 2017年5月1日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月2日 高井孝則
馬頭観音 大規模農道取り付け道を少し上り、左へ草道が岡の原へ通じている。これは、元小瀬ー上関往還の数少ない原形を止めている3尺道(約1m)である。この道端に2体の野仏が鎮座している。 昔、荷物運搬中の馬が倒れたので祀ったといわれる […] 2017年5月1日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月2日 高井孝則