高木一族の五輪塔

◎【由宇町史】p179 一、岩倉二高木屋敷ト云処アリ、広家公当国御打入の節、高木隠岐同市之助(此屋敷二住ス)其外一類難波等不応御下知アリ、其咎二依テ一家ヲ滅シ玉フ、市之助妻ハ大島ノ村上故彼方へ赴、難波ハ小土路二テ法躰ス(【玖珂郡志】)。 当時、由宇村には、村田、明川、難波、角井、高木、友田、槙尾の高…

正(ただす)八幡宮=大畠町大字神代浦

◎神代【正(ただす)八幡宮】大畠町大字神代浦。神代浦東浜の山手に鎮座する。祭神は仲哀天皇、応神天皇、神功皇后ほか。旧郷社。【玖珂郡志】によれば文禄4年(1595)に内藤河内守元栄という者が、山城国石清水八幡をこの地に勧請したと記す。鎮座地は古くから宮山とよばれていたが、延宝年間(1673~1681)…

正覚寺周音(守恩)の城

  【正覚寺跡】由宇町大字由宇寺迫。 寺迫(てらさこ)の地にあった禅寺で、岩屋山と号した。【享保増補村記】によると江戸中期には跡地に観音堂が一宇残っていたらしく、【正覚寺トイへル禅ノ大寺アリシ跡ナリ、寺八破壊シテ本尊計残レリ、古記ヲ考ル二、弘治元年、大内輝弘御退治ノ時、正覚寺周音(守恩)手…

お地蔵さん

◎Г鷹の巣火除地藏」↑ 昔、近所に大火があり、火難予防の火伏信仰の一つ。石段に孟状穴があります。近くにある新しい形の灯籠は、金比羅信仰の常夜灯です。N氏宅上の道路脇。 ◎正福 0氏宅下の道路脇↑ ◎正福  k氏宅下の道路脇↑ ◎滑原の地蔵尊 延命地蔵のお姿ですが、この地で飾牛が倒れ死んだので、その供…

11月の老人給食です

日積のお年寄りは、皆さんお元気です。お弁当代金200円をちゃんと用意して待っていてくださいます。Г今日はいなり寿司ですよ。」と手渡すと「わたしゃ、おすしが大好きでねぇ」と、さっそく開き、色どりの良さに「わぁ!」と声をあげられました。 おいしく食べて元気に過ごしてほしいと願いながらの弁当配達、今日も好…

秋が深まってきました

高鉢山のふもとの風景です。メタセコイアやカエデが気温の低下とともに色づいています。 冬景色になる前の今の晩秋の風景を愛でたいものです。 Г二十四節気」では、11月22日から12月 6日は「小雪」。雨が雪となってちらつくような寒さがや⊃てくるという意味ですが、本格的な降雪はなく、まだまだ紅葉の名所がに…

4種類の[赤い実]見つけました!

ノイバラ うつぎやぶに住んでおられるMさんからの情報。近くを散歩している時に見つけたそうです。 冬いちご  食べられますよ! サネカズラ(ビナンカズラ)=百人一首にも出ています。Г名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人にしられで くるよしもがな」 万葉の時代からあった植物のようです。 サルトリイバラ…

室津半島

室津半島です。 熊毛浦は、熊毛郷を大野として平生湾をさす説(御園生翁甫「防長地名淵鑑」防長倶楽部)もあるが、熊毛半島とその西に連なる馬島・佐合島・長島などに囲まれた内海全体をさすべきであろう。現在でも外海(馬島ー長島の西側)は荒れても内海は荒れることがないといわれるおだやかな内湾で、瀬戸内海上交通の…

鳩子の滝と山椒魚

今から35年ぐらい前に鴆子の滝の上流で発見した「ブチサンショウオ」です。フロツピーに入っていました。今もいるのかな?

聖徳太子

上の写真は叡福寺にある聖徳太子の墓(磯長陵) 叡福寺は推古女帝が聖徳太子の追善のために太子廟のかたわらに建てたのが始まりで、石川寺、御廟寺、または磯長寺などと呼ばれていた。全国の太子信仰の中心になっている寺院である。しかし現在目にする「がらん」は江戸時代になってから再建されたものである。「がらん」の…