教徳寺 忍道の教徳寺(浄土真宗)は、弘治年間(戦国時代)に、願秀(俗名末永作次郎)の開祖といわれる古い寺です。 明治5年の学制領布で、最初の村落日積小学校が、この寺を仮教場として設置されました。伊陸村長から後に、国会議員にもなっ […] 2017年5月3日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月4日 高井孝則
瑞雲寺 1373年「応安6年」大内弘世瑞雲寺伽藍建立(郡志)。正読国師を招いて開山とする。 今も、国師の木像が残っています。本尊は、薬師如来といわれますが、秘仏で、住職の夢枕に立たれない限り、ご開張はありません。 境内八丁といわ […] 2017年5月2日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月5日 高井孝則
西善寺 「西善寺」龍源山大字日積 大内義隆の家来「岩政佐源太清綱」は、主家の滅亡後大畠に住んでいたが、弘治元年(1555)ごろ伊陸に移って妻の姓玉井氏を称した。 まもなく同村の永井謀から蓮如の染筆名号をえて真宗に帰依し、伊保庄に […] 2017年5月1日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月2日 高井孝則
馬頭観音 大規模農道取り付け道を少し上り、左へ草道が岡の原へ通じている。これは、元小瀬ー上関往還の数少ない原形を止めている3尺道(約1m)である。この道端に2体の野仏が鎮座している。 昔、荷物運搬中の馬が倒れたので祀ったといわれる […] 2017年5月1日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月2日 高井孝則
南大原遺跡 縄文土器片ヘビの装飾。柳井の遺跡で確認。古墳期の建物群も。=柳井市日積の南大原遺跡(西善寺前の舌状台地)で、縄文時代中期(約6000年前)とみられる、ヘビを模したような装飾土器片が見つかった。市教委によると、このような装 […] 2017年4月29日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年4月29日 高井孝則
文殊堂 三丘隊が西善寺に駐屯して大島郡の玖可浦戦争に出陣した際炊飯や野営をした場所が、西善寺の近くにある「文殊堂」の広場だといわれています。西善寺前住職が子どもの頃まで炊飯に使用したと思われる大釜があったそうです。 このお堂は、 […] 2017年4月29日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年4月29日 高井孝則
小国茶臼山 《小国茶臼山》 日積の小国にある茶臼山は、なだらかな山並みが、ひときわこんもりと盛り上がった形をしたところで、あたかも茶を挽く臼のように見えるためか茶臼山と呼ばれています。 大昔には円墳であったといい伝えられていますが、 […] 2017年4月28日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年4月29日 高井孝則
ぼくたちわたしたちのバス乗り場です 日積中山地区のバス停で見かけた貼り紙です。「スクールバスがとまります。ぼくたちわたくしたちがそうじをしています。マナーを守ってね」 以前は、空き缶や弁当がらが散乱していましたが、今はきれいな状態です。 子どもたちの貼り紙 […] 2017年4月24日 / その他 / 最終更新日時 : 2017年4月24日 高井孝則
盃状穴〔大原〕 《大原の盃状穴》 この奇岩は、市内数ある盃状穴で代表的なもので、市史の口絵写真にも載っている。 それによると、遠く弥生時代に、ヨーロッパーアジア大陸ー朝鮮半島を経て、日本へ渡来した土俗信仰とある。 韓国では「性穴」と呼ば […] 2017年4月23日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年4月23日 高井孝則
六面地蔵 《慶徳庵と六面地蔵菩薩》 割石の集落を少し上がった所に、慶徳庵のお堂があります。 慶徳庵には、お大師様(弘法大師空海)と観音様が祀ってあります。昔はお坊様がおられたようで、境内には、お坊様独特のお墓が一基残っています。 […] 2017年4月21日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年4月22日 高井孝則