若杉不動院の丘 県道柳井由宇線改修にともない、若杉地区にある真言宗醍醐寺派寺院の不動院の境内と、その周辺が整備集合されて、あたかも古城跡を思わせるような丘があります。 その丘には、不動院と寺院関連の八十八ケ所の地蔵様が整理され一ケ所に立 […] 2017年5月31日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月31日 高井孝則
諏訪神社 藩制時代の古記「神社帳」に、諏訪大明神と出ていますが、明治初年の「神社明細帳」によると、大帯姫八幡宮攝社、諏訪神社と出ています。信濃諏訪神社より勧請、創建不明とあります。祭神は鳥河沼姫神、健御名方尊、大巳貴命といわれ、御 […] 2017年5月31日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年6月2日 高井孝則
大師さまと鳩(はと)の子 「大師さまと鳩(はと)の子」 ある時のこと、大師さまが日積の中山の里をお通りになった。 深山(みやま)〔的場(まとば)〕にさしかかられると、さても不思議なことに、山の上から数多くの鳩の子が舞い下りてきた。 そして、大師さ […] 2017年5月22日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月22日 高崎知耶
江戸時代 江戸時代をどのように捉えればよいか、苦心の未考えついたのが上のグラフです。日本の歴史と同時に、日積の歴史の流れをこのグラフに当てはめて見ていくと分かりやすいと思います。ペリ一(黒船)来航からの幕末にかけて急激な変化が起こ […] 2017年5月14日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月16日 高井孝則
銭壺山と十楽寺 右側の四角堆の屋根が十楽寺です。 十楽寺は、弘法大師が諸国巡礼の折り、中山の里を尋ねられ、鳩の子に導かれて、銭坪山に登られ、御来光を拝され、山上に開基された寺といわれています。 本尊の阿弥陀仏は恵心僧都の作といわれ、市内 […] 2017年5月11日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月20日 高井孝則
大原・大里地区の史跡 大原・大里地区にある史跡です。 4月23日ふれあいどころ437の[誕生祭]で、この地区の史跡ウォーキングを開催しました。多くの参加者があり、好評でした。 2017年5月8日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年6月8日 高井孝則
大愚和尚生誕地 萩市の、毛利藩主の墓所のある、東光寺第15世住職で、同寺中興の大愚和尚は、日積中山の生まれです。 今は、畑になっている「大段屋敷」といわれるこの地に、元文4年(1736)に生まれました。 百姓の子として生まれた彼は、長ず […] 2017年5月8日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月15日 高井孝則
高井氏 大帯姫八幡宮の玉垣に高井藤右衛門の銘あり 弘安の役で毛利八ケ国時代に入り、日積の直接の支配は高井氏にかわった。高井は伊予の河野水軍の出で、後に毛利に仕えて、正覚寺守恩の配下であったらしい。 守恩は、毛利五奉行の一人、粟屋 […] 2017年5月6日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月7日 高井孝則
大帯姫八幡宮 柳井市大字日積宮の下 当社の創建は明らかでないが、社記によると天平宝字年中(756~’64)といい、「玖珂郡志」にも当社の旧社地日積宮ケ原の「宮石」の図を載せ、その注に「按、寛正3 年(1462)、大内左京太夫政弘ヨリ氏 […] 2017年5月6日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月6日 高井孝則
鍛治屋原遺跡 鍛冶屋原の地は、元は「市の原」と言った。ここにも、日積南方代官杉氏が居り、市が立っていたからです。 元亀・天正年間(1570年代)に「鍛冶神右衛門」という鍛冶屋がおり、矢を造っていた伝承があります。 八幡宮の棟札にも「鍛 […] 2017年5月6日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月8日 高井孝則