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日積の歴史 記事一覧

日積の歴史年表

◎「日積歴史年表」 BC5000「縄文期」大里遺跡、磨製石斧2 黒島浜遺跡(前期)、宮田・与浦遺跡(後期) 「弥生期」大谷で弥生系石斧、大里遺跡土器、大原遺跡石斧2・土器片 AD 500「古墳期」小国茶臼山古墳、八幡境内 […]

2017年5月5日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月5日 高井孝則

琴石山

柳井の名峰琴石山に登ると四方に視界が開け、南には風光明媚な瀬戸内海が望まれ、眼下には柳井市街が一望でき古代の遺跡熊毛王の墓と言われる前方後円墳を見下ろすことができます。振り返ると山々に囲まれた日積の盆地や近郷の山里を見渡 […]

2017年5月4日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月5日 高井孝則

教徳寺

忍道の教徳寺(浄土真宗)は、弘治年間(戦国時代)に、願秀(俗名末永作次郎)の開祖といわれる古い寺です。 明治5年の学制領布で、最初の村落日積小学校が、この寺を仮教場として設置されました。伊陸村長から後に、国会議員にもなっ […]

2017年5月3日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月4日 高井孝則

瑞雲寺

1373年「応安6年」大内弘世瑞雲寺伽藍建立(郡志)。正読国師を招いて開山とする。 今も、国師の木像が残っています。本尊は、薬師如来といわれますが、秘仏で、住職の夢枕に立たれない限り、ご開張はありません。 境内八丁といわ […]

2017年5月2日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月5日 高井孝則

西善寺

「西善寺」龍源山大字日積 大内義隆の家来「岩政佐源太清綱」は、主家の滅亡後大畠に住んでいたが、弘治元年(1555)ごろ伊陸に移って妻の姓玉井氏を称した。 まもなく同村の永井謀から蓮如の染筆名号をえて真宗に帰依し、伊保庄に […]

2017年5月1日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月2日 高井孝則

馬頭観音

大規模農道取り付け道を少し上り、左へ草道が岡の原へ通じている。これは、元小瀬ー上関往還の数少ない原形を止めている3尺道(約1m)である。この道端に2体の野仏が鎮座している。 昔、荷物運搬中の馬が倒れたので祀ったといわれる […]

2017年5月1日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年5月2日 高井孝則

南大原遺跡

縄文土器片ヘビの装飾。柳井の遺跡で確認。古墳期の建物群も。=柳井市日積の南大原遺跡(西善寺前の舌状台地)で、縄文時代中期(約6000年前)とみられる、ヘビを模したような装飾土器片が見つかった。市教委によると、このような装 […]

2017年4月29日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年4月29日 高井孝則

文殊堂

三丘隊が西善寺に駐屯して大島郡の玖可浦戦争に出陣した際炊飯や野営をした場所が、西善寺の近くにある「文殊堂」の広場だといわれています。西善寺前住職が子どもの頃まで炊飯に使用したと思われる大釜があったそうです。 このお堂は、 […]

2017年4月29日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年4月29日 高井孝則

小国茶臼山

《小国茶臼山》 日積の小国にある茶臼山は、なだらかな山並みが、ひときわこんもりと盛り上がった形をしたところで、あたかも茶を挽く臼のように見えるためか茶臼山と呼ばれています。 大昔には円墳であったといい伝えられていますが、 […]

2017年4月28日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年4月29日 高井孝則

盃状穴〔大原〕

《大原の盃状穴》 この奇岩は、市内数ある盃状穴で代表的なもので、市史の口絵写真にも載っている。 それによると、遠く弥生時代に、ヨーロッパーアジア大陸ー朝鮮半島を経て、日本へ渡来した土俗信仰とある。 韓国では「性穴」と呼ば […]

2017年4月23日 / 日積の歴史 / 最終更新日時 : 2017年4月23日 高井孝則

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